植物病原菌のエネルギー生産を阻害する作用を持つコハク酸脱水素酵素阻害剤(SDHI)と呼ばれる殺菌剤であり、ダイズやムギ、イネなど多様な作物の重要病害に高い効果が認められています。住友化学で基礎的な研究が始まったのは2008年頃です。世界同時開発を目指して、2013年に本格開発がスタートしました。2019年に日本で、2020年にアメリカおよびカナダで、そして2022年に世界最大の農薬市場であるブラジルで登録を取得しています。
Project Story 01 : アグロ&ライフソリューション部門
10年以上の歳月をかけた農薬開発プロジェクト。
次代のグローバルビジネスを担い、
世界的な食糧問題に貢献する。
「インディフリン」は、住友化学の農薬事業において、次代を担うと期待される農薬だ。すでに世界11か国で発売され、グローバルに展開している。また、ダイズやムギ、イネなど、主要作物の病害を防ぐことで、世界的な社会課題である食糧問題にも貢献する。開発が本格的に立ち上がったのは2013年のこと。10年以上の歳月をかけてプロジェクトを成功に導いたメンバーと、現在後継剤の開発に取り組む担当者に集まってもらった。
Profile
先進基盤技術研究所 規制科学グループ
農業化学品チームリーダー
2002年入社/農学部 獣医学科
アグロ&ライフソリューション研究所
創薬科学グループ 兼 生物グループ
2012年入社/農学研究科応用生物科学専攻
国際アグロ事業部マーケティング部
2015年入社/環境情報学府 環境システム学専攻
アグロ&ライフソリューション研究所
プロセス化学グループ
2021年入社/薬学系研究科 薬科学専攻
Chapter01
世界同時開発を目指して動き始めた、
壮大なプロジェクト。
—— この「インディフリン」とは、どのような農薬なのでしょうか?

—— 研究から発売まで、10年以上の歳月を要しているプロジェクトです。

開発に膨大な時間を要する背景には、農薬を取り巻く社会環境の変化が挙げられます。自然環境などへの影響が注目される中、開発プロセスでは徹底した安全性の評価が要求されるのです。また、開発においてコストパフォーマンスが重要な要素になることも農薬の特徴です。膨大な時間を要する点では医薬品開発と同じですが、このあたりが大きな違いだと思います。

医薬品開発との違いをもう一つ挙げるなら、利用可能な薬の種類(モダリティ)でしょうか。最近、医薬品は選択肢の多様化が進み、抗体や核酸など様々な種類の薬が開発されていますが、農薬では現在も低分子が中心となっています。低分子は成熟しつつある領域であり、その分だけ革新的な新規剤へのチャレンジは年々難しくなっているのです。

つまり、いくつもの困難な壁を打ち破って成功にたどり着いたのが今回のプロジェクトであり、それだけ「インディフリン」は画期的な農薬だということ。現在、世界11か国で発売しており、農薬事業の成長を牽引する新製品の一つとして期待されています。ダイズやムギ、イネといった主要作物の病害を防ぐことで、世界的な社会課題である食糧問題にも貢献することができます。
Chapter02
国や文化の違いを超えて、
プロジェクトを前進させていく。
——
さんは、「規制科学」※(レギュラトリーサイエンス)のスペシャリストとして、長年にわたって安全性評価に携わっています。「インディフリン」のプロジェクトではどんな役割を果たしたのでしょうか?
※科学的知見と、規制など行政施策との間の橋渡しを担い、社会との調和を図る科学。

開発のスタート時から世界各国で登録を取得するまで一貫して安全性評価を担当するリーダーとして評価試験の企画・効率的実施・管理をしました。先ほど話に出たように、安全性の評価は、農薬の開発プロセスにおいて非常に重要な役割を担います。さらに「インディフリン」は、日本、米国、ブラジルなどといった主要市場での世界同時の登録申請を目指していました。各国ごとに安全性評価に求められる試験項目に違いがあるためグローバルな申請に最適な試験パッケージを企画し、さまざまな課題を乗り越えてスピーディーに展開していかなければなりません。そこが一番の難しさでした。
—— プロジェクトで印象に残っている出来事をあげるとするならば?

やはり、登録取得の知らせが届いた時ですね。中でも農薬の最大マーケットであるブラジルは審査が不透明で、そのブラジルで審査が順調に進んでいるという報告を聞いた時は小躍りするくらい嬉しくて。それと同時に、「インディフリン」の効力の素晴らしさを再認識しましたね。ブラジルでは重要な製品を優先的に審査するシステムがあることも追い風になりました。
——
さんは、プロジェクトの途中で部署を異動していますね?

そうです。私は入社後、9年にわたって農薬の研究開発に携わり、2024年に現在の国際アグロ事業部マーケティング部に異動しました。私が「インディフリン」に関わったのは主に研究所にいた時です。
—— どのような役割を担ったのでしょうか?

「インディフリン」は、農薬製品の有効成分です。農薬製品では、少量の有効成分を均一に散布して効力を最大限に引き出すために、有効成分とさまざまな副資材を合わせて加工する「製剤化」が必要です。加えて、国・地域のニーズに応じて多種多様な製剤を開発しなければなりません。当時私が所属していた研究チームは、こうしたさまざまな製剤の開発に加えて、その製剤を国内外で量産化するための試験も担当していました。
例えば、ブラジル向けの製品では、南米の農薬会社を買収していましたので、現地の工場を活用して製剤を製造する計画が進められました。そこで私は、住友化学ブラジルのメンバーと連携して、現地工場で製造するための評価試験やその体制の構築に取り組みました。品質は妥協することができません。相手の立場や背景を想像し、国や文化の違いを超えて仕事を進めていく難しさ、そして楽しさを体験しました。ブラジルで製品の発売を果たした日には、入社してから一番の喜びを、ともに分かち合うことができました。
Chapter03
最大マーケット、
ブラジルで暗雲が漂い始めた……
——
さんもブラジルでの製品開発で重要な役割を果たしたそうですね?

農業用殺菌剤の開発で直面する課題の一つに「耐性菌」があげられます。対象病原菌が耐性を持つようになり、本来は効くはずの薬剤が効きにくくなることがあるのです。
ブラジル向けの製品開発が進む最中、現地で「インディフリン」に似た作用を持つ他社製品において耐性菌が出現したというニュースが飛び込んできました。もしもそれが「インディフリン」にも関連する耐性菌であるならば、開発において重大な障壁になるため、プロジェクトに暗雲が漂い始めました。そこで研究所で生物グループに所属していた私が、調査・分析のためにブラジルに急遽出張することになったのです。
—— 現地ではどのような調査を行ったのでしょうか?

現地の研究所は、サンパウロ郊外の広大な農業地帯の町にあります。その耐性菌は現地の畑でしか採取できないことが分かっていました。また、現地の研究所が設立されたばかりで、技術者たちが経験不足であることも不安の種でした。自分の使命を果たせるか心配でしたが、現地のメンバーと一所懸命に調査・分析に取り組み、目的の菌の採取に成功しました。現地メンバーとの交流も深められ、週末の度にBBQパーティーに招待されたのもよい思い出です。こうして収集した情報を検討した結果、「インディフリン」に影響が及ばないことが判明し、プロジェクトは一気に加速していったのです。
——
さんは、「インディフリン」が発売された後に入社していますね。

はい。したがって、私自身このプロジェクトには直接は携わっていません。私が現在取り組んでいるのは、「インディフリン」のさらに次の世代を見据えた研究開発です。
—— 入社後、どのような研究開発に携わってきたのですか?

有機合成化学をベースにした農薬の研究開発です。入社後は、農薬のシーズを見つけ出す探索研究を担当していました。現在では、プロセス化学の部署に異動し、量産化を志向した合成ルートの探索を担当しています。
—— 若手の研究者として、「インディフリン」をどう感じていますか?

探索研究に取り組んでいて実感したのですが、有望な化合物を見出すことは容易ではありません。本当に見つからないのです。それを考えると、「インディフリン」は革新的ですし、
さんの話にあるように耐性菌の影響も及ばないなど、“もっている”製品だと思います。なによりも、世界同時開発というプロジェクトを成し遂げてきた先輩たちが素晴らしく、尊敬しています。
Chapter04
「インディフリン」に続く革新的な農薬を、
また、いつの日か。
—— 「インディフリン」プロジェクトは現在、どのようなステップを迎えているのでしょうか?

現在、世界中でもっとも規制が厳格な欧州(EU)での審査が続いており、まもなく登録となる見込みです。この最後の難関を乗り越えれば、開発プロジェクトもとりあえずひと段落といった感じでしょうか。

今後は、欧州をはじめとするなど、より広範な国や地域での展開を進めていくことになります。また、世界的な供給・販売体制の構築など、事業的にはまだまだチャレンジすべきことはたくさんあると思います。
—— 皆さんは、これからどんなチャレンジをしていきたいと考えていますか?

私は学生時代に天然物の有機合成を専攻し、その知見を活かしたいと思い農薬の研究を志しました。そして住友化学に入社して、5年近く研究に取り組んで気づいたのは、自分は本当に有機合成が好きだということ。クラシカルな反応も組み合わせ次第で新しいものづくりに繋げることができる、たくさんの可能性を秘めた分野だと惚れ込んでいます。この知識と技術を活かして、社会に貢献できるような仕事にチャレンジしていきたい。いつの日か、「インディフリン」に続くような農薬を開発してみたいですね。

このプロジェクトでは、国内外のさまざまなメンバーと連携して仕事を進め、自分にとって新たな成長につながったと感じています。現在は、製品化に向けた応用開発に携わるとともに、研究開発の最上流に立ち戻って探索研究も担当しています。
さんが話したように、有望なシーズを見つけ出すことは本当に難しい。でも、だからこそ魅力的であり、その喜びをメンバーたちと分かち合う楽しさもある。自分たちが育てた化合物から、「インディフリン」のような製品を生み出すことができれば幸せだと思っています。

私は現在、マーケティング部に所属し、海外向け製品の開発や発売後の技術サポートを担当しています。「インディフリン」でも製品寄りの分野を担当しましたが、その製品からグローバルな事業が動き始めています。そして、会社に新しい利益をもたらし、世界的な食糧問題にも貢献していくことになるはず。こんなグローバルなプロジェクトに携われたことはとても幸運であり、これからの自分のキャリアにおいても大切な財産になると思っています。

農薬の開発は、長い歳月を要することもあり、製品の開発から上市までを通して立ち合えるチャンスはなかなか巡ってきません。中でも「インディフリン」は、住友化学において農薬事業の次代を担うような製品。貴重な経験をさせていただきました。今後は、このような機会をできるだけ多くの若いメンバーたちに味わってほしいと考えています。最近では、in silicoといったコンピュータ技術の活用が注目を集めるなど、農薬研究にも幅広い知識の融合が求められています。このグローバルでやりがいにあふれた世界へ飛び込んでくる若い人たちに期待したいですね。